◆中部地震後の危機感から
今では「湯布院と言えば映画祭、音楽祭」など認知されたイベントがありますが、それらが全てある意味では、大分県中部地震(1975年)の危機感の時に起死回生のアイデアとして生まれたものです。

この地震では、湯布院はダメージをあまり受けてはいなかったものの、風評により「湯布院も壊滅的だ」という噂が広がり、客足が落ちていきました。 この危機感から、地域の皆が心を一つにしたのです。


◆起死回生の辻馬車
まず、辻馬車を走らせました。 これは湯布院の町並みを観光客に見せ「湯布院は地震の影響はなく元気ですよ」ということを実際目で確かめていただきたかったのです。

たまたま私が観光協会の責任者だったってことから、私自身が御者をしました。 それぐらい自分たちが一生懸命になったのは、観光客のニーズを知るには最適だったからです。 乗車していただく1時間程度、お客様と会話が出来きますよね。 「昨日はどこにお泊りですか?」「その御宿はいかがでしたか?」など、生の情報を直に聞ける、問題点やニーズを御者をすることによって、より身近に感じる事が出来たのです。 

その的確なニーズを掴む事で『湯布院の観光にこういう事を皆さん望んでるんだ』という事を地域ぐるみで考えた訳です。



◆ゆふいん音楽祭
まずは音楽祭から。 九州交響楽団が、当初合宿する予定だった地で出来なくなってしまい、それを湯布院にお招きしたのです。 これが 【星空の下のコンサート】で、音楽祭の前身です。 


◆ゆふいん映画祭
すると、音楽祭をご覧になっていた映画人が「自分たちの作品も是非観てもらいたい」という事から、翌年には【湯布院映画祭】が始まりました。

このように、イベントを開催し続けて情報発信をしていくと共に、話題性を発揮していくという事をしました。


ここで一番大きなポイントは“自分たちの手作り”だった事。 

手作りですから苦労も大変ですけれども、それによって成功と失敗のノウハウが自分達に蓄積される…。 そしてそれが、継続されて、次の世代に継続されていくことになったと思います。

◆名コンビ
実は、この仕掛け人は亀の井別荘の中谷健太郎さんです。 
健太郎さんと私の役割は『絶えず切り開いていく人』『それを絶えず調整していく人』というような関係ですね。 私たちは50日間のヨーロッパ旅行も共に経験しましたし、お互いの信頼関係、役割分担が明確に見えていました。