またマスコミの皆さんとの情報交流によって、さらに質の高い情報になり発信されていくのです。 そうやって人と人とが繋がることにより、情報と情報も結びついてゆくのだと言う事を学びました。
◆自然保護運動 その後は「猪の瀬戸のゴルフ場問題」が起こりました。 これは別府と湯布院間の湿原地がゴルフ場になるという計画でした。 その当時は、施設をつくるためには自然破壊は当り前の時代でした。 つまり施設ありきだったわけです。 そこでゴルフ場という施設をつくり、お客さんを呼ぼうという流れのなかで、湯布院が「待った!」の声をかけたのです。
それも観光協会の中からそんな声があがりました。 観光協会という組織はどちらかと いうと施設オンリーのイメージでしたから、自然や環境を守ろうという逆のことをやったわけです。
世間の人たちから見ると、すごく驚きであると共に、全国に向かって 、自然保護運動と湯布院というイメージを鮮明に打ち出していくことができました。
そして、その旅のなかで出会った人たちに「静けさと、空間と、緑が大切だ・・・」 と言われて、はじめてそういったことに気付きました。
そういう3つの基本的なもの を形付けていくのに100年かかったとも話していました。
それが私たちの原点になり「湯布院100年のまちづくり」という言葉や思想が生まれたのです。
それでも無理ならば孫の代でつくればいいと考えるようになったのです。
ヨーロッパの皆さんがおっしゃるようにちょうど100年の月日が必要だということです。
たまたま、亀の井別荘の中谷健太郎さんがすばらしいアイデアや企画力の持ち主で、それが湯布院の一つのブランドになりました。
また私はマスコミや行政をつないでいく調整役だったのかもしれません。